街道探訪 1 大宮氷川神社の「戦艦武蔵」脾は語る2023/02/14 14:01

大宮氷川神社・「戦艦武蔵」の脾から


大宮氷川神社の参道19丁(2072m)を歩く。埼玉新都心駅近くの一の鳥居から、樹木の参道を散策。境内には2015年に建立された戦艦武蔵の大きな石碑がある。
碑文を読んで、驚いた。米軍に撃沈されて海に飛び込んで生存した者は再び戦地に送られて戦士。生き残り、本土の土を踏んだ者はごく少数という戦争の非情さである。
「武蔵」は戦艦大和の2号戦艦として1942年8月5日に広島で竣工。44年10月17日に出港し、7日後の10月24日に米軍の攻撃でフィリピン・シブヤン海に撃沈された。
乗組員はは2399人で、犠牲者は1039人。「総員退去」の命令が下り、戦闘服のまま海に飛び込んだ者を含め、1329人が生存した。ところが、生存者は再び戦地に送られ、最終的に本土の土を踏んだのは僅か430人だった。
生き残った者のうち183人と遺族32人の手記を収めた「嗚呼 戦艦武蔵」の復刻版が2023年1月30 1日に出版された。いま岸田政権は大軍拡を進めているが、軍拡戦争のなれの果の非情さと無残さを示す「戦艦武蔵」。歴史を直視し、大軍拡・増税にストップをかけることを「武蔵」の石碑は反面教師として教えているようだ。